“Prayer is not asking. It is a longing of the soul. It is daily admission of one’s weakness. It is better in prayer to have a heart without words than words without a heart.”
祈りとは(神に)頼むことではなく、自分の魂の切望のことである。
それは日々の己の弱さの自白である。
祈りにおいては心のこもっていない言葉よりも、むしろ言葉の無い心の方がよいのだ。
-マハトマ・ガンジー-
longing:あこがれ、切望
admission:自白、告白
photo by Tambako The Jaguar
「苦しい時の神頼み」の英語
“Danger past, and God forgotten.“
危機が過ぎ、そして神は忘れられる
- 喉元過ぎれば熱さ忘れる
- 苦しい時の神頼み
苦しい時の神頼みとは、普段は神仏を信仰していないような人が、自分が困った時にだけ助けを求めて神に祈りだすように、自分の都合のよいタイミングにだけ他人や知人に助けを依頼することを意味します。
日ごろ世の中に何の貢献もしていない人が、いくら自分が困っていたからと言って熱心に祈っても誰も助けてはくれません。
日本では、鎌倉時代に成立した法令”御成敗式目“の中に、
「神は人の敬(うやまい)によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う」
という言葉があります。
神社といえば、「神様にお願いをするところ」と思っている人が多そうですが、本当は神様にまず「感謝の気持ちを伝える」ところなんですね。
その結果として、威力を増した神様からの運を頂戴する。
まず、与えるというか、神様でなくても他人に対し、どれだけ良い行いを与えたことがあるのかということが重要そうです。
自分は「運がない」と嘆いてばかりいるような人は、ガンジーの言葉のように、毎日の己の行動を見直してみるのが良さそうです。
「苦しい時の神頼み」の他の英語表現
“Once on shore, we pray no more.”
岸に上がればば、我々はもう(神に)祈ることはない
⇒苦しい時の神頼み
shore:岸
海で漂流していたイメージですね。
島にたどりつきいったん陸に上がってしまうと、あれほど祈っていた神様はどこへ行ってしまったのやら。感謝の気持ちも無くなってしまいがちです。