チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin)は、映画の黎明期において数々の傑作コメディ映画を作り上げた映画俳優、映画監督でもあるイギリス生まれのコメディアンです。
同年代のバスター・キートンやハロルド・ロイドと並んで世界の三大喜劇王と称されています。喜劇という人を笑わせる職業とは対照的に、実は彼の半生は過酷なもので、彼が1歳の時に両親が離婚。そしてまだ7歳の時に母は精神に異常をきたし施設に収容されています。
その後は生きていくために、泥棒も含めてありとあらゆる職業を経験したようです。その一方で俳優あっせん所に通っていた彼は、劇団で徐々に頭角を現し、彼が24歳の時にはアメリカの映画界へ。そして国際的スターへの道を登ることとなりました。
ところが、その後の作品『モダン・タイムス』などで資本主義を批判した彼は、作品が共産主義的であるとの理由から、一時はアメリカのハリウッドから追放されてしまったり、その後も波瀾な人生でしたが、1972年にはアカデミー賞名誉賞に選ばれ、20年の後に再びアメリカの地を踏むことになりました。
人生は近くで見れば悲劇だが、遠くからみればコメディだ
人生をとても客観的にみていますね。
自らの苦労した過去や悲劇も、過ぎてしまえばコメディ。日本的な無常観に近いものがあるのかもしれませんが、楽しいはずのコメディとしているところに、もっと人間臭さがあるような気がします。
“The saddest thing I can imagine is to get used to luxury.”
私が想像する最も悲しいことは、贅沢に慣れてしまうことだ
貧しかった彼が国際的なスターになって地位や名声とともに贅沢を享受することが出来るお金を手に入れた彼のこの言葉です。
”贅沢”は人間の最上級の欲望の一つなはずですが、それに興味がなくなってしまうと、人生なんてつまらなくなってしまうという意味なのかもしれません。
人は獲得しにくいものは、欲しくなる傾向がありますが、簡単に手に入ってしまうとつまらなくなってしまうのは、勝つのが分かっているゲームと同じ退屈さです。
“To truly laugh,you must be able to take your pain,and play with it!.”
本当に笑うためには、あなたが自身の痛みを受け入れて、それと遊べるようになる必要があります!
僕は『若いうちの苦労は買ってでもせよ』という言葉が好きです。でも逆に、若くない苦労は大嫌い、もううんざりです。なぜなら、人生の若い時なら何かと修正がききやすいですが、年を取ってからの苦労は体力的にもなかなかしんどいものです。
でも、その痛みすらも自分の心で受け止めて、これも自分の人生の一部なんだと常に良い意味で諦められるなら、もっと自然体ですべてをありのままで受け入れ、心からの笑いにつなげられるのかもしれません。彼に言わせれば人生は、コメディなのですから。
私たちは考え過ぎであって、感じることが小さすぎる
人生の岐路に立ち、一方は合理的に考えれば成功しそうだとはとても思えない道ではあるけれども、自分の気持ちがどうしてもそっちを選びたいと思う時、あなたならどうしますか?
現代社会に生きていると、私たちはどうしても合理的な選択肢を取りがちです。
確かに、自分の心に素直に従うことが正解に直結していると言えるほど単純な世の中ではありませんが、少なくとも理詰めで答えを導きだすだけではなく、たまには心を解き放ち、自分の心や、周囲の様子に耳を傾けてみる時間を持つことも大切なことだと思います。
笑いのない一日というのは、まったく無駄な一日だ
人間にとって笑いとは、何のためにあるでしょう?
自らの少年時代は恵まれているとは言えなかった喜劇王、彼自身のこの言葉です。
笑いの効果で悪い話は聞いたことがありません。人生、あるがままを受け入れて、なるべく毎日笑って過ごせるような人生の達人になりたいものですね。Master of Life.